福岡高等裁判所 昭和32年(ネ)178号 判決 1961年12月05日
福岡相互銀行
理由
一、訴外西日本建設株式会社(以下訴外会社と書く)は、控訴人を発起人代表とし、訴外斎藤広吉、大塚政次らを発起人として、昭和二九年七月六日設立登記を終えて成立した会社であり、本件金五〇万円は、控訴人の委任を受けた斎藤広吉において預金手続をなし、同年六月一九日被控訴銀行八女支店に普通預金として預金の受入れがなされたことは、当事者間に争がない。
二、控訴人は右五〇万円の預金者は控訴人であると主張し、被控訴人は訴外会社が預金者であると争うので考えるに、成立に争のない甲第一号証の普通預金通帳には右五〇万円の預金者として、たんに控訴人の氏名が記載され、訴外会社を表示するなんらの記載がないこと、当審証人古田千秋、森山千里の各証言によれば、斎藤広吉が預金する際同人と同行した訴外大塚政次が記載したことを認めうる乙第四号証の印鑑票によればその表面上部印鑑らんに「米山忠義」と刻した印鑑が押され、その下部の住所らんに西日本建設株式会社八女市本町三四六姓名らんに控訴人の氏名が書かれ、裏面の被控訴銀行宛の免責文言を印刷したところに、昭和二十九年六月十九日氏名米山忠義と書いて表面の印鑑と同一と認められる印鑑が押されており、若し被控訴人主張のとおり、設立中の訴外会社が預金者であれば、右の住所らんに、八女市本町三四六と書かれ、表面裏面の姓名氏名欄に訴外会社を表示し、かつ代表者米山忠義と書いてある筈であるのに、かような記載がないこと、成立に争のない乙第一一号証の五、七、八、九によると、訴外会社は控訴人、訴外斎藤広吉、大塚政次、野田明、田尻信一、野田光雄、吉武茂三郎ら七名の発起人によつて発起設立された会社で、昭和二九年六月一日定款を作成し、これにつき同月一五日公証人の認証を受け、同月一七日すでに本店を前示八女市本町三四六番地に置くことが決定され、当時発起人大塚政次は十分このことを了知していること(この認定に反する後記援用の大塚、斎藤の各証言は排斥する。)が認められ、(イ)以上の各認定実に、(ロ)成立に争のない甲第一号事証、乙第一一号証の一、三、六、一二、一六、その方式、趣旨により成立を認めうる乙第一二号証、原審及び当審証人斎藤広吉、原審証人大塚康(大塚政次と同一人)、当審証人古田千秋、森山千里(後記排斥部分を除く)の証言、同各証言により成立を認める乙第二、三号証(ただし乙第三号証については後記説示参照)、当審証人野田明の証言により成立を認めうる甲第二号証の一、同証言及び同人の原審における証言(ただし、いずれも後記排斥部分を除く)原審及び当審控訴本人尋問の結果、(ハ)被控訴人主張のとおり、本件五〇万円が訴外会社設立のための株式払込金として被控訴銀行が受け入れたとすれば、特段の事情のないかぎり、いわゆる別段預金ないし雑預金として受け入れ処理されることは銀行界における一般的慣例であるのに、前記のとおり普通預金として受け入れられ預金の処理がされている事実をかれこれ合わせ考えると、発起人斎藤広吉は訴外会社の株式七五〇株(この株式払込金三七万五、〇〇〇円)、発起人田尻信一は株式二五〇株(この株式払込金一二万五、〇〇〇円)を引き受けたが、当時資力が十分でなかつたので、控訴人は沖繩へ出発するに当り斎藤広吉に対し右両名の株式払込金合計五〇万円に使用する動機をもつて、ひとまず控訴人個人の預金として被控訴銀行に預金することを委託しこれに必要な印鑑は控訴人の妻に預託して置くので、控訴人の印鑑が必要なときは妻に押印して貰うよう指図したところ、斎藤広吉は昭和二九年六月十九日大塚政次及び設立中の訴外会社の監査役に選任され被控訴銀行の外務員をしていた富安義道とともに被控訴銀行八女支店に行き、富安義道から同支店の支店長ら幹部に紹介され(したがつて同支店の幹部は大塚政次、斎藤広吉が控訴人でないことを知るにいたつた。)、控訴人個人を預金者として預金をなすことを申し入れたが、右のようにこの五〇万円がいずれは斎藤広吉及び田尻信一の訴外会社への株式払込金に充てられることになつているということを聞知した大塚政次は、先に認定したように、初めて預金する者が銀行に提出する印鑑票(乙第四号証)の所要部分に控訴人の氏名を書き、その住所らんに訴外会社の本店所在地を記載し(ただし当日は控訴人の印鑑を所持せず、控訴人の妻からこの印鑑票に控訴人の印鑑を押印して貰わないで、その数日後野田明が偽造した控訴人名義の印章を、大塚政次において乙第四号証の印鑑らん、裏面の控訴人名下に押印して、これが控訴人の印鑑であると冒称し届け出た)これを同支店に提出し、控訴人の代理人斎藤広吉において金五〇万円を同支店出納係古田千秋に差し出し、同人は乙第四号証によつて、乙第二号証の普通預金入金票を作成して、同支店預金係若菜千里(後の森山千里)に廻わし、同人は乙第三号証の元帳に記入し(ただし後記のとおり元帳上部姓名らんに西日本建設会社社長の記載はせずに、姓名らんに控訴人の氏名だけを記載した。)、かつ、甲第一号証の普通預金通帳を作成して支店長の検印を受けた上、これを斎藤広吉に交付し、もつて甲第一号証において明らかなとおり、被控訴銀行八女支店との間に控訴人を預金者とする普通預金契約のなされたこと、なお訴外会社は肥後相互銀行福島支店を株式払込金取扱銀行と定めて、預け合いによつて同支店支店長の払込金保管証明書を得て設立登記をなしており、正式に被控訴銀行または同銀行八女支店を払込金取扱銀行に委託したとは認めがたいことが認定される。この認定に反し、あるいは反するかのような原審証人財津五郎、古田千秋、原審及び当審証人増野虎雄、同若菜千里(原審は第一、二回)同富安義道(原審は第一、二回)同野田明の各証言は、前示各証拠資料と対比して採用できないし、なおこの各証拠資料によれば、乙第三号証中の控訴人名に付記してある訴外会社々長の記載は、前認定の預金契約成立後被控訴銀行八女支店の係員若菜千里がその上司の指示により、控訴人ないしその受任者斎藤広吉不知の間に事実に反して書き入れたものと認められるので、採つて証拠にする訳にはいかないし、その他に前示認定を左右する証拠はないので、本件五〇万円の預金者が控訴人であることは極めて明白であるといわなければならない。
したがつてこの五〇万円は控訴人が訴外会社の設立に当り、斎藤広吉、田尻信一両名にその引受株式の払込金として貸しつけたもので、両名が訴外会社設立発起人団体に払い込んだものであつて、その所有権は発起団体に帰属するという被控訴人の主張は、右認定にてい触する事実を前提とするもので採用に値しない。
三、ところで被控訴人は、かりに本件預金の実質上の権利者が控訴人であるにしても、控訴人は被控訴銀行八女支店に来たことがなく、大塚政次及び斎藤広吉において同支店との間に預金契約を締結し、しかも控訴人の印鑑をさえ持参し届け出たのであるから、控訴人は大塚政次らに八女支店との間に預金契約を締結することを委任し、その代理権を与えた旨表示したのであり、大塚は、預金全額の払い戻し請求に当り、届出印鑑と同一の印鑑を持参使用して金五〇万円を払い戻したのであるから、たとえ払い戻して権限がないにしても、被控訴銀行八女支店は大塚政次に預金払い戻しの権限があると信ずべき正当の理由があるので、控訴人は大塚政次の払い戻し行為につきその責に任じなければならないと主張するので考えるに、控訴人が本件預金をなすことを斎藤広吉に委任したことは当事者間に争がないが、前示認定事実及び前示証拠資料によれば、大塚政次は斎藤広吉が控訴人の受任者として本件五〇万円の預金をなすに当り被控訴銀行八女支店に同人と同行し、乙第四号証の印鑑票に前示のとおり所要事項を記載することを補助したにとどまり、控訴人の受任者ないし代理人であるというなんらの証拠がないばかりでなく、先に認定したとおり乙第四号証印鑑票の表面の印鑑らん及び裏面の控訴人名下に押されてある控訴人名義、印鑑は、野田明が勝手に偽造した印章を、大塚政次において預金契約成立の数日後控訴人に無断で押して、控訴人の印鑑であると冒称し届け出たものであり(印鑑票は預金者本人が誰であるかが銀行に明白である場合は別として、預金の際提出させて受領すべきものである)その上、大塚政次がこの偽造印章を使用して、勝手に自己が預金者本人であるかのように装い乙第五号証の普通預金支払請求書を作成し被訴銀行八女支店から昭和二九年六月二五日金五〇万円の払い戻しを請求し、その際預金通帳を提出しなかつたのにかかわらず、(この払い戻し当時甲第一号証の預金通帳は斎藤広吉において、控訴人の真正の印章はその妻において、いずれも控訴人のために直接占有していたのである。)八女支店において不注意も甚だしくこれが払い戻しをなしたことが認められるので、被控訴人の表見代理の主張は到底認容することはできない。
四、被控訴人は、本件のような場合大塚政次が預金通帳を持参提出しないで預金の払い戻しを請求したときは、銀行としては預金者の便宜をはかり払出に応ずる慣習があるので、大塚政次の払い戻し行為は控訴人の払い戻したるの効果を生ずると主張するけれども、右のような慣習の存することは当裁判所の是認しないところである。ただ預金通帳を持参しないで預金の払い戻しを請求した場合においても、請求者が預金者本人であるかまたはその正当な代理人であるなど、その請求権を有し、そのことが銀行に明白であるときは、銀行において顧客の便宜を計り払い戻しに応ずることのあるのは一般周知のことがらであり、もちろんその払い戻しは預金権利者に対する弁済の効果を生ずるがために有効であるが先に見たとおり、たんに預け入れ手続をなす際、控訴人の代理人斎藤広吉に同行して印鑑票の記載をなしたにとどまる大塚政次が、預金通帳を持参せず、しかも預金の数日後に勝手に届け出た偽造の印章を使用して偽造した前示普通預金支払請求書によつて払い戻しを請求したのに対し、たやすくこれに応じて払い戻したという本件において、右払い戻しの効果が預金者に及ぶという慣習などあるべき道理がない。
五、被控訴人は、大塚政次は預金債権の準占有者であるから民法第四七八条により被控訴人のなした払い戻しは有効であると主張するが、預金債権の準占有者とは、銀行に対する届出印鑑及び普通預金通帳を占有する者を指し、大塚政次のように通帳を占有しないで預金の払い戻しを請求する者はたとえ、預金者本人の印鑑を所持する場合でも、預金債権の準占有者に当らないので、右主張は理由がない。
六、被控訴人はたとえ、大塚政次が金五〇万円の払い戻しを受領する権限を有しなかつたとしても、右払い戻し金は控訴人が斎藤広吉及び田尻信一に対し、両名の訴外会社に対する株式払込金として貸し付けたもので、この金五〇万円の払い戻し金は、両名の株式払込金として訴外会社名義をもつて肥後相互銀行福島支店に預金されたので、これにより控訴人は右両名に対し貸金債権を取得し、被控訴人に対する預金債権と同額の利益を得たことになるので、民法第四七九条により被控訴人のなした払い戻し、すなわち弁済は全額について有効であると主張するが、先に認定したとおり、控訴人が被控訴人に対し本件五〇万円を預金した動機は、被控訴人主張のとおり斎藤広吉及び田尻信一の訴外会社に払い込むべき株式払込金に充てるにあつたのであるが、現実に払込金に充てるまでは、控訴人の権利として預金したものであり、しかも、いよいよ現実に払込金として払い込むについては格別の事情のないかぎり右両名と控訴人との間に、五〇万円に関し内部的の取りきめのなれさることを前提とするものと解するのが相当であるところ、右五〇万円に関し控訴人がこれを両名に貸しつける取りきめのなされたということについてはもとより被控訴人主張のとおり、大塚政次が払い戻しを受けた金五〇万円により控訴人が利益を受けたというなんらの証拠がないので、右主張はその前提を欠くので採用できない。
以上見たとおり被控訴人の抗弁はすべて理由がなく、また、本件訴状が昭和三〇年一月一九日被控訴人に送達されていることは、記録上明らかであるので、被控訴人は控訴人に対し金五〇万円及びこれに対する昭和三〇年一月二〇日以降完済まで年六分の割合による金員を支払わなければならない。
よつてこれが支払を求める控訴人の請求を認容すべく、これを棄却した原判決は不当で控訴は理由がある……。